リュウグウの砂に見つかった塩の結晶
Sodium salt minerals found in Ryugu samples
執筆者情報
所属機関 Affiliation
京都大学 白眉センター The Hakubi Center for Advanced Research, Kyoto University
抄録/Abstract
日本の探査機はやぶさ2によって持ち帰られた小惑星リュウグウの砂の分析が世界中で行われてきた。今回、SPring-8のBL20XUで開発された放射光X線トモグラフィー、X線回折とともに、電子顕微鏡による微小分析技術を組み合わせることで、これまでに地球外物質で全く見つかっていなかった塩類の結晶をリュウグウの砂から発見した。具体的には、炭酸ナトリウム、塩化ナトリウム、硫酸ナトリウムを含む結晶脈が見出され、これらは豊富な塩水がリュウグウの母天体の環境に存在したことを示唆する。塩結晶はリュウグウの母天体を流れた塩水が蒸発したか凍結した際に成長したと考えられる。現在のリュウグウは液体で満たされておらず、どのように母天体から液体が失われたのかこれまで謎であった。塩の結晶は、液体の水が消えていった道筋を示した初めての証拠である。また、ナトリウム炭酸塩や岩塩は、土星の衛星エンセラダスなど内部に海をもつ天体の表層にも、海の成分の析出物として見つかっている。塩の結晶はリュウグウとこれらの海洋天体の水の成分や進化を比較できる新しい手がかりになると期待される。
本文
SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 1 からڀݚのۙ࠷ 京都大学 白眉センター 松 本 徹 リュウグウの砂に見つかった塩の結晶 Abstract 日本の探査機はやぶさ 2 によって持ち帰られた小惑星リュウグウの砂の分析が世界中で行われてきた。今回、 SPring-8 の BL20XU で開発された放射光 X 線トモグラフィー、 X 線回折とともに、電子顕微鏡による微小分析 技術を組み合わせることで、これまでに地球外物質で全く見つかっていなかった塩類の結晶をリュウグウの砂 から発見した。具体的には、炭酸ナトリウム、塩化ナトリウム、硫酸ナトリウムを含む結晶脈が見出され、こ れらは豊富な塩水がリュウグウの母天体の環境に存在したことを示唆する。塩結晶はリュウグウの母天体を流 れた塩水が蒸発したか凍結した際に成長したと考えられる。現在のリュウグウは液体で満たされておらず、ど のように母天体から液体が失われたのかこれまで謎であった。塩の結晶は、液体の水が消えていった道筋を示 した初めての証拠である。また、ナトリウム炭酸塩や岩塩は、土星の衛星エンセラダスなど内部に海をもつ天 体の表層にも、海の成分の析出物として見つかっている。塩の結晶はリュウグウとこれらの海洋天体の水の成 分や進化を比較できる新しい手がかりになると期待される。 1.はじめに 宇宙航空研究開発機構( JAXA )の探査機「は やぶさ 2 」は、小惑星リュウグウ( 図 1 )を探査し、 2020 年に表面の砂を地球に持ち帰った。リュウグ ウの砂の初期分析から、その化学的・岩石学的な特 徴が、隕石の中でも極めて希少な CI 炭素質コンド ライトと呼ばれる隕石種に対応していた [ 1,2 ] 。リュ ウグウや CI 隕石の大きな特徴は、水の中で生まれ た鉱物が岩石の大部分を構成していることである。 リュウグウの砂の主成分は層間に水を含む粘土鉱物 であり、次に存在の高い硫化鉄、磁鉄鉱、カルシウ ム - マグネシウム炭酸塩はいずれも水環境で生成し た鉱物である。 現在のリュウグウは 900 メートル弱程度の大きさ であるが、かつては数十キロメートルの大きさをも つ母体となった天体 ‒ 母天体 (ぼてんたい) ‒ が太陽 系の始まった頃の約四十五億年前に存在したと推定 されている。その内部は放射性元素の崩壊熱によっ て温められ、百度以下のお湯で満たされていたと考 えられている。こうしたことから、リュウグウの砂 は太陽系の形成初期の時代で水の環境がどのように 発展したかを知るための重要な試料である。 小惑星から直接持ち帰った砂には、地球に落下す る隕石では見られないような未発見の物質があるこ とも期待されていた。そのひとつは、水に溶けやす い、もしくは吸湿しやすい物質である。湿気を含む 地球大気の下で変化してしまう物質は、宇宙空間か ら持ち帰ったままの新鮮な状態でなければ気付くこ とも難しいからである。その点で、リュウグウの砂 は小惑星から直接的に地球に持ち帰った物質であり、 地上で想定される変質を免れている。また、砂が 地球へ帰還して以降、 JAXA の試料保管施設(キュ レーション)において純度の高い窒素ガスの環境下 において注意深く保管されてきた。そこで、本研究 では、小天体の水環境に関連する新しい手がかりを 探るために、リュウグウの砂を大気から極力隔離し た上で、鉱物組織に対する微小領域分析を行なった。 図 1 はやぶさ 2 が撮影した小惑星リュウグウ( ©JAXA 、 東京大学など) 2 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.1 JUNE 2025 '30. LATEST 3ESEA3C) 2.リュウグウの砂の分析 分析に用いたリュウグウの砂は国際公募分析によ り配布された試料である。筆者らは、まず JAXA/ 宇宙科学研究所のキュレーションを利用して、空気 に触れることなく小惑星の砂を観察できる設備(グ ローブボックス、密閉型試料容器、エアロック付き 電子顕微鏡)を活用した。大気から隔離した状態で、 リュウグウの砂を光学顕微鏡や走査型電子顕微鏡で 観察したところ、砂つぶの表面に白い脈が発達して いることを見出した( 図 2 ) 。特性 X 線による元素 種の分析から、それらがナトリウムに富む見慣れな い元素比の特徴を示すことから、リュウグウや地球 外試料でこれまでに見つかっていない種の物質であ る可能性に気づいた。 構成されており、鉱物と水との相互作用が進んでい ることがわかった。 Na の鉱物を示す X 線回折ピー クは見られず、白い脈も砂つぶのごく表層にのみ分 布することがわかった。次に結晶脈に対する透過型 電子顕微鏡観察を行うことで最終的な相同定を行う ことにした。透過型電子顕微鏡による観察を行うた めには、電子線が透過可能な、厚さ 100 nm 程度の 切片を粒子の表面から切り出す必要がある。この目 的のために収束イオンビーム装置を用いた。狙った 位置から正確に切片を切り出すためには、粒子の三 次元的な形状の情報が必要であった。そこで X 線ト モグラフィーによって撮影した粒子の外形を用いる ことで、切片の切り出し位置や向きの詳細を検討す ることができた。 透過型電子顕微鏡で観察した結果、結晶脈の主 成分はナトリウム炭酸塩( Na 2 CO 3 )であり、塩化 ナトリウム( NaCl )の結晶や、ナトリウム硫酸塩 ( Na 2 SO 4 )も含むことがわかった。ナトリウム炭酸 塩と塩化ナトリウムは電子線回折と特性 X 線による 構成元素の解析から同定された。一方で、ナトリウ ム硫酸塩は、 UVSOR の放射光走査型透過 X 線顕微 鏡を利用することで、軟 X 線の吸収量の特徴から同 定した。 図 2 リュウグウの砂表面に発達した塩結晶の脈。二次 電子像の擬似カラー画像。 そこで、この砂の内部の岩石学的な特徴を捉える ために、 SPring-8 の BL20XU に設置された X 線トモ グラフィーと X 線回折を利用することで、砂つぶに 対する三次元的かつ非破壊での観察を行うことにし た。 X 線トモグラフィーの分解能は約 0.5 μm であり、 構成鉱物の種や形状を高分解能で撮影することがで きる。また同時に X 線回折モードに切り替えること ができ、主な構成鉱物の相同定が可能である。本研 究では、撮影中にリュウグウの砂が大気に暴露され ることを防ぐために、 X 線を透過するカプトンの筒 に粒子を封入できる小型容器を開発した。窒素ガス 環境のグローブボックス内で粒子を容器に密閉して ビームラインに持ち込んだ。撮影の結果、構成鉱物 はリュウグウの大半の岩相と同様に粘土や硫化鉄で 発見された鉱物はいずれも水に非常に溶けやすい 性質をもつ塩の結晶である。水に溶けやすいという ことは、液体が極めて少なく塩分濃度が高くなけれ ば結晶が析出できなかったと推定される。そのため 図 3 インジウムに固定したリュウグウ粒子の光学顕微 鏡画像 (左) とトモグラフィーのデータから再構成 した三次元像。 SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 3 からڀݚのۙ࠷ 筆者らは、リュウグウの砂を作る多くの鉱物が母天 体で沈殿したあとに、液体の水が失われる現象が存 在し、その際に塩の結晶が沈殿したと考えた( 図 4 ) 。 液体がなくなる現象として考えられる可能性のひと つは、塩水の蒸発である。母天体の内部から表層の 宇宙空間へまでつながる割れ目が生まれれば、天体 内部の液体は減圧されて蒸発すると考えられる。地 球上では大陸内部に取り残された湖が干上がった時 に高い濃度の塩水が生じ、ナトリウム炭酸塩や岩塩 などが析出することが知られている。これらは「蒸 発岩」と呼ばれており、リュウグウ母天体でも蒸発 岩が生まれたのかもしれない。もうひとつの可能性 は、液体の凍結である。母天体を温めていた放射性 元素が乏しくなると天体は冷えてゆき、塩水は徐々 に凍結するはずである。塩水に溶けた陽イオンや陰 イオンは氷には取り込まれにくいので、凍結が進む と残された塩水の濃度は高くなる。すると濃い塩水 からは塩結晶が析出する。凍結した氷はやがて現在 に至るまでに宇宙空間へと昇華してしまったと考え られられる。現在のリュウグウに大量の液体は見ら れず、そしてリュウグウの砂つぶも湿っていること はなく、母天体を流れたはずの液体の水がどのよう に失われたのか分かっていなかった。今回の研究に より、リュウグウの母天体では蒸発、もしくは凍結 によって液体の失われる現象が起こったことが初め てわかった。また、この考察が示唆する重要な点は、 急激な水の消失が起こるほど、もともと母天体は水 に富んでいたという点である。つまり、母天体の材 料となった氷の、無機物質に対する量比が高かった ことを示唆している。 3.波及効果 リュウグウの砂で見つかったナトリウム炭酸塩は 地球に飛来する隕石では見つかっておらず、小惑星 の砂から発見されたことは全くの予想外であった。 一方で、準惑星のセレスや木星の衛星エウロパ、土 星の衛星エンセラダスなど地下に海が広がっている と予想される天体で塩類が検出されている。たとえ ばセレスには内部海の物質が凍って吹き出す氷火山 があり、ナトリウム炭酸塩は噴出物の主要な成分で ある。エンセラダス表層の氷の裂け目から噴き出す 間欠泉にはナトリウム炭酸塩や塩化ナトリウムが含 まれる。種々の塩類は天体の水の成分や進化を反映 している。そのため、塩の結晶はリュウグウと太陽 系の海洋天体との水環境の共通性や違いを比較でき る新しい手がかりになると期待される。とりわけ太 陽系の水環境に注目することは、生命の材料である 有機物の水中での化学反応を理解することにもつな がる。 参考文献 [ 1 ] T. Yokoyama et al .: Science 379 (2022) eabn7850 [ 2 ] T. Nakamura et al .: Science 379 (2022) eabn8671 松本 徹 MATSUMOTO Toru 京都大学 白眉センター 〒 606 - 8502 京都府京都市左京区北白川追分町理学部一号館 TEL : 075 - 753 - 4159 e-mail : matsumoto.toru. 2 z@kyoto-u.ac.jp 図4 リュウグウの母天体での塩結晶の形成過程