NanoTerasu共用ビームラインBL02Uについて
Introduction of public beamline at NanoTerasu : BL02U
執筆者情報
所属機関 Affiliation
(公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室 NanoTerasu Promotion Division, JASRI
抄録/Abstract
NanoTerasuでは3本の軟X線ビームライン(BL02U、BL06U、BL13U)が共用ビームラインとして建設され、2025年3月から共用利用が開始された。本稿では共鳴非弾性X線散乱のビームラインであるBL02Uについて、登録施設利用推進機関であるJASRIの視点から紹介する。
本文
10 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.1 JUNE 2025 #EA.LINESŋACCELE3AT03S 公益財団法人高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室 菅 大 暉、 小 出 明 広 NanoTerasu 共用ビームライン BL02U について Abstract NanoTerasu では 3 本の軟 X 線ビームライン( BL02U 、 BL06U 、 BL13U )が共用ビームラインとして建設され、 2025 年 3 月から共用利用が開始された。本稿では共鳴非弾性 X 線散乱のビームラインである BL02U について、 登録施設利用推進機関である JASRI の視点から紹介する。 が一部の先進的な施設で達成されているが、それ を上回る超高分解能の達成は非常に挑戦的である。 BL02U では、世界最高の超高分解能条件での RIXS 測定を実現したが、この達成にはビームラインが発 揮するエネルギー分解能の向上、安定化による高分 解能の維持、そして測定の効率化の課題を同時に解 決することが必要であった [5] 。 2 - 1 .エネルギー分解能の向上 エネルギー分解能には、回折格子・ミラー・検出 器など、すべての光学素子の性能が総合的に影響す る。そのため、超高分解能を達成するには、それぞ れの光学素子を高精度で製作・調達することが不可 欠である。しかし、個々の光学素子の性能や製作精 度には限界があるため、その制約の中で光学系全体 の性能を最大限に引き出すために、専門的かつ高度 な光学系の設計が必要となる。さらに、光学素子を 組み合わせて系を構築する際には、それらの幾何学 的な配置が分解能に直接影響を及ぼすため、装置の 建設や光学調整にも極めて高い技術と精度が求めら れる。こうした技術的課題を乗り越える設計と実装 によって、超高分解能化が実現されている。ここで は、光学素子の高分解能化の一例として、分光の中 核を担う回折格子について取り上げる [5] 。 回折格子には、基板としての形状誤差やスロープ エラーに加え、刻線の高い精度が求められる。理想 的な回折格子において、その理論的な最大の分解能 は、総刻線数(刻線密度と刻線領域の積)と使用す る回折次数との積によって与えられるが、刻線は人 1.はじめに NanoTerasu で は BL02U 、 BL06U 、 BL13U の 3 本 が共用ビームラインとして建設され、これらの共用 利用が 2025 年 3 月 3 日から開始された [1] 。登録施設 利用推進機関である JASRI はこの日に向けて利用 者選定や利用支援業務を行ってきた。特に後者に関 しては装置設置者である量子科学技術研究開発機構 ( QST )と連携・協力してビームラインの共用利用 に備えてきた。 NanoTerasu は 2 つの利用制度によって成り立って いる。コアリション利用と共用利用である。 2024 年 4 月 9 日から一般財団法人光科学イノベーション センター( PhoSIC )により実施されているコアリ ション利用は組織ニーズプル型:イノベーションを 加速すること(シーズの発展)を主たる目的として いるのに対し、 JASRI が関わっている共用利用では 個人探究型:イノベーションシーズを育むことを目 的としている。 以下では、共鳴非弾性 X 線散乱のビームラインで ある共用ビームライン BL02U について「共用利用 をする」という視点からビームラインの現状やこれ からの期待などについて紹介する。 2.BL02U BL02U は 軟 X 線 領 域 の 共 鳴 非 弾 性 X 線 散 乱 ( Resonant Inelastic X-ray Scattering: RIXS )を世界 一のエネルギー分解能条件で利用者に供することを 目指したビームラインである [2-4] 。近年の RIXS 測定 において、 E/ Δ E = 20,000 程度のエネルギー分解能 SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 11 ビームラインɾՃ器 工的に作製されるため、刻線密度・領域・形状のい ずれにも限界があり、超高分解能に対応する回折格 子の決定的な製作法は、現在のところ確立されてい ない。そこで BL02U では、刻線密度を下げて製作 精度を高めるために、ブレーズ型回折格子による高 次回折光の利用を採用している。ブレーズ型回折格 子では、ブレーズ角を高次の回折に最適化すること により、特定のエネルギー領域では 1 次の回折で分 光するよりも、より高い回折効率(より明るい回折 光)が得られる。一般に、刻線密度が低い方が製作 上の難易度が下がり、刻線の精度も高くなること が期待される。実際に、 3000 本 /mm の 1 次の回折 と 1000 本 /mm の 3 次の回折では原理的な分解能が 同等なので、より刻線密度の低い 1000 本 /mm の 3 次の回折を RIXS 分光器では利用している。ただし、 利用可能なエネルギー範囲は狭くなり、この点はト レードオフとなる。 BL02U で主要なエネルギー領 域である 500 ‒ 1000 eV については、 1 次の回折より も高次の回折の方が高い回折効率を持つ計算結果が 得られたため、ブレーズ 型回折格子と高次の回折 の組み合わせが採用されている [5] 。 2 - 2 .安定化による高分解能の維持 次に、一時的にでも達成した高分解能条件を長時 間安定して維持するためには各種の位置ずれを抑え る必要がある。例えば、振動などに由来する短周期 の位置ずれや、温度変化に起因する長周期の位置ず れなどであり、性質の異なる要因が重なるため、そ れぞれに適した対策が求められる。特に極めて高い エネルギー分解能を目指す場合には、検出器の安定 性に加え、回折格子に桁違いに高い位置・角度安定 性が要求される [5] 。 2 - 3 .測定を高効率化 軟 X 線領域における RIXS は、その測定原理上、 もともと効率が低いが、超高分解能化によってさ らに低効率になる傾向がある [5] 。軟 X 線では、オー ジェ過程が支配的であるため、放出される散乱 X 線 の強度は 1% 未満と極めて低い。さらに、全方位に 放出された散乱 X 線のうち、検出可能なのは分光器 の取り込み角(水平・垂直ともに約 10 mrad )に収 まるごく一部である。加えて、超高分解能用の回折 格子は回折効率が約 5% 程度と低いため、全体とし て測定効率は大きく制限される。したがって、超高 分解能を実現したとしても、現実的な測定時間内で 解析に必要な信号強度を有するスペクトルを得るに は、測定効率の向上が不可欠となる。 BL02U では、 2D-RIXS と呼ばれる手法を採用し ており、波長分散型 X 線吸収微細構造( Dispersive XAFS )のように、複数の入射エネルギーのスペク トルを同時に取得することで高効率を達成している。 これはビームラインの分光器からのエネルギー分散 光(鉛直方向に分光)をそのまま試料に照射し、さ らに散乱光を水平方向に分光することで、入射光と 散乱光のエネルギー分散を 2 次元的に検出する。単 色化した入射光を用いる従来の RIXS 測定に対して、 2D-RIXS では分散光を活用することで入射エネル ギーの僅かに異なる複数のスペクトルを一度の測定 で得ることができるため、これらを積算することで 単色光による測定よりも高効率な測定を実現してい る。またビームラインのレイアウトは放射線安全要 件なども考慮しつつ、 2D-RIXS に最適化された設 計となっている [5] 。 Figure 1 に BL02U のエンドス テーションの写真を示す。 Figure 1 . BL 02 U のエンドステーションにある RIXS 装 置。右手のビームライン上流から左手のメイ ンチャンバー内の試料に入射 X 線が導入され、 試料からの散乱 X 線は手前の回折格子で分光 された後、更に右手前の検出器で検出される。 [https://nanoterasu.jp/com.res/ よ り QST の 許可を得て使用。 ] 12 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.1 JUNE 2025 #EA.LINESŋACCELE3AT03S BL02U では上記のような先端的な技術が実際に 導入され実現されたことにより、多層膜試料の測定 にて、 930 eV の入射エネルギーに対して 16.1 meV ( E/ Δ E ~ 58,000 )という世界最高のエネルギー分解 能を達成している [3,4,6] 。 3.RIXS とは ここでは BL02U にて展開される共鳴非弾性 X 線 散乱( RIXS )について概説する。 RIXS という用語 の詳細や用法については完全に統一された見解があ るわけではない。また分野内での歴史的経緯も含む 種々の事情もあるため、本稿では厳密な定義を与え ることを目的としない点をご理解いただきたい。 RIXS の手法名にある「共鳴」とは、入射光のエ ネルギーを内殻電子の吸収端など特定の内殻励起エ ネルギーに合わせた条件で用いることを意味してい る。物質にこの共鳴条件の X 線を入射すると内殻 電子は外殻軌道へ励起し、同時に内殻空孔が生成さ れる。この際、励起した内殻電子および発生した内 殻空孔は、物質中の電子との相互作用を介して様々 な低エネルギー励起を引き起こす。これらの低エネ ルギー励起によって内殻励起エネルギーの一部が奪 われるため、入射 X 線エネルギーよりも低いエネ ルギーを持つ散乱 X 線が観測される。このような エネルギーロスを伴う散乱現象を非弾性散乱と呼ぶ。 RIXS は入射光と散乱光のエネルギー差を測定する 手法のうち、特に数 eV 以下の低エネルギーロスの 成分を精密に観測する手法のことを指し [7] 、原子・ 分子・格子振動、スピン、電荷移動などに起因する 低エネルギー励起を観測できる。 共鳴条件を用いることで、 RIXS は次の二つの特 徴を持つ。一つは、微分断面積が著しく増大するた め、強度が微弱な低エネルギーロス成分の検出が可 能である。もう一つは、元素および軌道に対する選 択性を持つ内殻励起を通じて、複雑な試料中から特 定の励起成分を選択的に観測することができる。 本稿では、非弾性 X 線散乱の観測手法のうち、共 鳴条件下における低エネルギーロス成分は RIXS 、 それ以外の高エネルギーロス成分は、 X 線発光分光 ( XES )として区別する。この高エネルギーロス成 分は主に蛍光 X 線として検出されるエネルギー領域 に属する。 XES では、蛍光 X 線スペクトルを解析 することで、元素分析や価数評価が行われる。非共 鳴条件における非弾性散乱も測定手法が確立されて いるが、本稿では共鳴条件に焦点を絞るため、その 紹介は割愛する。 BL02U にて展開される高分解能 RIXS 測定では、 特に物質中における格子振動やスピンの集団励起で あるフォノンやマグノンをはじめとした素励起によ る非弾性散乱のピーク構造が、その詳細まで明瞭に 観測できる。遷移金属酸化物などで見られる典型的 な素励起のエネルギースケールを概観的に Figure 2 に示す。 フォノンおよびマグノンは、波数(結晶運動量) に依存してエネルギーが変化する分散関係を持つ。 非弾性散乱においては、散乱角の制御により光子が 素励起に与える運動量を調節できるため、散乱ピー クの角度依存性を測定することで分散関係を高精度 に解析できる。それら分散関係の応用先のほんの一 例として、種々の伝導現象の支配的因子である電子 格子相互作用の評価や、マグノニクス材料探索にお ける基礎物性値としての活用が挙げられる。 また、中性子や非共鳴条件での X 線を利用した 測定方法と異なる点として、 RIXS では吸収原子の 外殻軌道と強く結合した励起状態の情報が得られる ため、フォノンやマグノンに対して支配的寄与を持 つ元素および電子軌道の特定や不純物効果の評価 を行うことができる。この特性を活用することで、 RIXS による新奇材料探索は大きく進展している。 4.共用利用に向けた各種の現状および準備状況 BL02U の共用において JASRI がまず目指すべき Figure 2 .固体物質で観測されるさまざまな素励起とそ の 代 表 的なエネルギースケール [Reprinted figure with permission from [ 8 ] . Copyright ( 2011 ) by the American Physical Society.] SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 13 ビームラインɾՃ器 は「 QST により世界最高のエネルギー分解能を示 すよう整備された RIXS 装置を安定してユーザーに 提供すること、およびその利用環境の整備」である。 担当者もユーザーもビームタイム中においては「測 定そのもの」と「得られた結果の解釈」に集中でき ることが望ましい。ゆえに作業マニュアルの整備、 作業場所や寒剤容器の搬入経路などの明確化を実施 し、実験時の時間ロスが極力生じないように準備を 進めてきた。始動直後であり、足りない部分も少な くはないが、引き続き JASRI と QST で連携し、実 際に利用したユーザーからの声も反映しつつ、限ら れた時間で最大限の成果が創出できる共用実験の提 供を目指した整備を継続する。 4 - 1 .試料プレート 研究内容および試料特性によっては、 3 本の共用 ビームラインの相互利用が最適と判断される場合 も想定される。これに対応するため、試料プレー トは 3 ビームラインで共通とすることが QST によ り決定され、実現されている。これにより、例えば BL06U での ARPES 測定によるバンド構造の観測を 通して興味深い結果が得られた試料を、そのままの 試料状態で BL02U に搬送・導入して RIXS 測定をす ることが可能である。 BL02U の試料プレートは冷 却時の熱伝導率も考慮して無酸素銅製が推奨され準 備された。 JASRI では共通化された試料プレートの仕様に基 づき、ユーザー利用に係わる範囲においての新規製 作・デザイン相談・改造・数量管理、および運用を 行っている。 Figure 3 にその一例を示す。 4 - 2 .寒剤の利用と申請 現在、試料冷却のための寒剤として液体ヘリウム が使用できる。 1 つの実験課題につき、現状の最大 量として 200 L の使用申請が可能であり、実際の使 用量に応じた金額が実験終了後に JASRI からユー ザーへと請求される。使用されたヘリウムは施設の 回収配管に回収され、その回収率に依存して請求さ れる金額が変動するため、利用時期によって金額 の変動があり得るが、 2025 年 5 月現在は 1 L あたり 1675 円である。通常の手順による最冷却時で 32 K 程度まで冷却可能で、その際の液体ヘリウム消費量 はおおよそ 1.2 L/h である。消費量は試料交換の頻 度や設定する測定温度により変動するが、液体ヘリ ウム使用量を申請される際の 1 つの目安とされたい。 なお消費量は増加するがさらなる低温度での測定 も不可能ではない。加えて BL02U には温度コント ローラーも準備されており、目的とする温度に設定 した状態で RIXS を測定することもできる。 目標とする冷却温度や、冷却の目的(例えば、冷 却による試料の X 線照射ダメージの低減)によっ ては液体窒素による冷却で十分な場合もあるだろう。 だが現状の BL02U では液体窒素を使用した冷却装 置が常設されていないため、申請課題において液体 窒素の使用を希望する場合にはビームライン担当者 への事前相談をしていただきたい。なお液体窒素の 使用料金は実験時にご負担いただく「消耗品実費負 担額」にあらかじめ含まれている。使用量に関して は実験に先立ってユーザースオフィスから確認の連 絡があり、その際に希望した量のみを実験で使用す ることができる。 4 - 3 .大気非暴露条件での試料準備環境の整備 試料によっては一度でも大気へ暴露してしまうと Figure 3 .ユーザー実験に向けて JASRI が作成した試料 プレートの一例。 14 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.1 JUNE 2025 #EA.LINESŋACCELE3AT03S 急激な酸化の進行等により、望んだ測定条件を保て ないものも少なからず存在する。このように大気非 暴露環境が必要な試料に関しては、 JASRI としてグ ローブボックスを用意している。現在、搬送ロッド を用意することで単なるバルブによる封じきりでの 大気非暴露搬送は可能である。より高い真空状態を 保ったまま試料を搬送することができるイオンポン プ搭載型の試料搬送ロッド(真空スーツケース)の 整備を QST と共同で進めている。これらの設置場 所は BL13U であるが、 3 本の共用 BL のいずれにも 接続できる真空ポートの規格を有している。グロー ブボックスの使用を希望する場合は事前連絡が必要 である。また事前相談が必要にはなるが、ユーザー が自作した試料搬送用ロッドの持ち込みにも基本的 に対応可能であるため、使い慣れたロッドを用いて 試料準備と搬送を行い、 RIXS 装置へと試料を導入 することもできる。 4 - 4 .試料搬送の手順 Figure 4(a) にメインチャンバー周辺の様子を示 す。試料は (i) ロードロックチャンバー (L.L.) に搭 載されたクイックアクセスドアを通じて真空導入 される(導入後に真空引き) 。その後 (i) → (ii) プレ パレーションチャンバー (Prep.) → (iii) メインチャン バーの順に搬送される。 L.L. と Prep. には 5 つのホ ルダーが搭載できる搬送用ロッド(サンプルバン ク : Figure 4(b) )が備わっている。両チャンバー間 の試料移動は、 L.L. 上部に搭載されたウォーブルス Figure 4 . (a) BL 02 U エンドステーションのメインチャンバー周辺。試料搬送のための各チャンバーが示されている。 (b) サンプルバンク、5つの試料プレートが搭載できる。ここでは赤矢印部の 2 箇所に試料プレートが搭載 されている。 (c) メインチャンバー内部。 (a) の “ View Port ” 部分からチャンバー内部を観察している。中 心部に測定ステージが位置している。 (d) 試料ステージに調整用試料を取り付けた様子。 [(c) については https://nanoterasu.jp/com.res/ より QST の許可を得て使用。 ] SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 15 ビームラインɾՃ器 ティックによって行われる。 Figure 4(c) に BL02U の RIXS 装置内部の写真を示す。これは Figure 4(a) の「 View Port 」部分からメインチャンバー内部を 覗いた様子である。測定試料は左手方向に位置する Prep. チャンバーからサンプルバンクに搭載されて 導入される。その後、右手方向にあるウォーブルス ティックを用いて、測定位置である写真中央の試料 ステージに搭載される。 Figure 4(d) は試料ステー ジに調整用の試料を取り付けた時の様子を表してい る。またメインチャンバーには 3 試料を搭載できる サンプルバンク( Figure 4(c) にて中央より少し右 下に位置する)も用意されている。 4 - 5 .共鳴エネルギーの決定 RIXS は XAS データの取得を通じた共鳴エネル ギーの決定が必須である。 BL02U では導電性試料 のドレインカウントを計測する全電子収量法( Total Electron Yield: TEY ) に加えて、全蛍光収量法 ( Total Fluorescence Yield: TFY ) に よ る 吸 収 測 定 環 境 が QST によって整備されている。 TFY は絶縁体となっ た試料の測定位置確認や共鳴エネルギーの決定に活 用される。 TFY では試料の厚みに起因する自己吸 収の影響に加えて、目的元素以外からの蛍光 X 線 をバックグラウンドとして検出することから、共鳴 エネルギーの決定に必要なピーク構造が潰れて不 明瞭になる場合がある。目的元素以外からの蛍光 X 線による XAS スペクトル形状の歪みを低減し、よ り正確に共鳴エネルギーを決定するため、目的元素 のみに着目した XAS を取得できる部分蛍光収量法 ( Partial Fluorescence Yield: PFY ) が 可 能 な シ ス テ ムの導入が今後の展開として検討されている。 PFY が導入されれば微量元素および、多元素構成材料な どへの対応力も高まる。 4 - 6 .測定の実行や結果の初期解析 全ての機器の制御・監視システムの構築は QST によって行われており、各種ソースコードの管理と 保守についても同様である。データ取得のための各 機器の制御(測定の実行)は Python コードにて行 われており、インターフェースとしてブラウザベー スの Jupyter Lab が用いられる。各種実行コードは 来所初日のインストラクションを通じて JASRI か らユーザーに説明・共有されるため、各自で望む測 定シーケンスを組んで実行することも可能である。 また得られた 2D-RIXS 画像の初期解析(重心演算 や画像から RIXS スペクトルへの変換)については QST が用意した LabVIEW プログラムを使用できる。 データ取り出しについては、データ取り出し専用の ネットワーク環境下の PC から専用 USB を用いた取 り出しと、一部の Web クラウドを通じた取り出し が可能である。 5.今後の共用利用に向けた取り組み BL02U で採用している 2D-RIXS 測定では、入射 光および散乱光のエネルギーが 2 次元検出器のピク セル位置として検出される。共用実験における入射 エネルギーの正しい観測ピクセル位置と 1 ピクセル あたりのエネルギー分解能は調整時に多層膜試料を 用いて決定されているが、実際の測定試料の表面の 平滑性によっては、表面の凹凸によって X 線の散乱 点(発光点)が変化し、到達したピクセル位置が本 来計測されるべき位置からずれる。この位置のずれ は見かけ上のエネルギー位置のずれを与えてしまう ため、補正が必要である。そこでまず、ビームライ ンからのエネルギー分散を持つ弾性散乱が 2 次元ピ クセル上で理想的には線形となることを利用し、弾 性散乱の位置を特定する。そして、弾性散乱の位置 を正しく特定できれば、そこから正しいエネルギー ロス(非弾性散乱)を与えるピクセル位置へと変換 することができる。しかし、ずれがあまりにも大き い場合や弾性散乱が弱い場合には弾性散乱の位置を 特定することが難しくなるため、現状では補正・変 換が容易な平滑表面を持つ試料に測定が限られてい る。そこで、測定可能な試料範囲を拡大するために、 機械学習や画像解析を用いて弾性散乱位置を特定す る技術の開発を JASRI では検討している。 また、現状では公開されている汎用的な第一原理 計算プログラムには、フォノンおよびマグノンを考 慮した RIXS の理論計算は実装されていない。 RIXS 測定に慣れたユーザーの多くは、独自に RIXS 計算 手法を開発している研究者との共同研究基盤を既に 持っているため、測定結果を成果に結び付けるこ 16 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.1 JUNE 2025 #EA.LINESŋACCELE3AT03S とが比較的容易である。一方、ビギナーには独自 に解析手法を開発する、もしくは共同研究者を探 すことが必要であり、これによって RIXS 測定への 参入障壁が高くなっていることが想定される。そ こで、ユーザー層の拡大を目的として、 RIXS 理論 研究者との共同研究も視野に入れながら、 JASRI で RIXS 解析をサポートする理論計算手法の開発 を検討している。 RIXS に限らず理論計算や画像解 析等でユーザーを支援するための CPU マシンおよ び GPU マシンを JASRI で用意している。それぞれ のマシンの特徴として、 CPU マシンが 128 コアお よびメモリ 768 GB を有し、 GPU マシンが NVIDIA RTX6000Ada を 4 枚搭載した仕様となっている。こ れらの計算性能は、スーパーコンピューターの 1 ノード分、あるいはそれ以上に相当する。この計算 資源をユーザー実験で得られたデータ解析などに活 用し、成果創出へとつなげるための環境整備を進め ている。 6.今後の展望 近年、世界中の RIXS 装置ではいかに高いエネル ギー分解能を達成できるかの競争が繰り広げられて きた。特に RIXS 研究が盛んに行われている固体物 理分野の研究では、 100 meV 以下に現れる低エネ ルギー励起を議論できるエネルギー分解能が必須で ある。日本は RIXS を含むあらゆる測定手法を駆使 してこの低エネルギー励起の舞台で世界と戦って きたが、 RIXS 装置の測定分解能においては 10 年近 くの遅れをとっていた。しかし、 NanoTerasu にて BL02U の運用を開始したことで、日本は世界一の物 性解明のツールとさらなる研究競争力を手に入れた。 高分解能測定によってフォノンやマグノン等が詳 細に観測可能になった一方で、注意すべき点もある。 d-d 遷移や電荷移動励起のみを狙って観測する場合、 高分解能測定ではエネルギー分解能が必要以上に高 過ぎるため、従来の分解能でも信号強度が稼げる測 定手法や装置を利用した方が高効率となる場合があ る。また測定可能なエネルギー範囲(ワンショット で観測することのできるエネルギーロスの範囲)も 観測対象とする励起状態に合っている必要があるた め、単純に高分解能から低分解能に落とせば全ての 励起現象に対して高分解 RIXS 装置が活用できる訳 ではない。そのため、従来装置に置き替わるものと して高分解能 RIXS 装置を捉えるのではなく、観測 したい励起現象に応じて各 RIXS 装置を選択 / 相補 的に活用することが望ましい。 RIXS の盛んな海外 では、実際に異なる放射光施設の RIXS 装置間で目 的ごとに棲み分けがされており、相補的な利用がス タンダードになっているようである [9] 。 また本稿では主だって取り上げなかったが、 RIXS は XES と同様に Photon-in/Photon-out の手法である ため、バルク敏感かつ外場中でも測定可能な特徴を 有する。これを活かすことで、電池材料や電子デバ イスなどにおける RIXS の in-situ/operando 測定が展 開されている。 BL02U の高分解能 RIXS が、従来装 置との相補利用を通じて RIXS 研究全体を活性化す ることで、学術・産業問わず幅広い材料・デバイス 研究開発促進の一役を担うことを期待している。 謝辞 本 稿 の 執 筆 に あ た っ て、 QST NanoTerasu セ ン ターの宮脇淳 博士、山本航平 博士、堀場弘司 博士、 高橋正光 博士から専門的・技術的コメントをいた だいた。ここに深く御礼申し上げたい。また、共 用に向けた試料プレートの準備では、 JASRI ナノテ ラス事業推進室の横町和俊 氏、神田龍彦 博士に大 変ご尽力いただいた。グローブボックス導入・整 備・大気非暴露搬送対応のための改造作業について は QST NanoTerasu センターの北村未歩 博士、大坪 嘉之 博士、 JASRI ナノテラス事業推進室の脇田高 徳 博士、 JASRI 分光推進室(現分光イメージング 推進室)の伊奈稔哲 博士のご協力の上で達成され た。原稿の全体構成についてはナノテラス事業推進 室の本間徹生 博士と大石泰生 博士から多くのアド バイスをいただいた。共用利用が無事に開始できた のは QST と JASRI 間の連携の賜物であるが、コア リション利用の先立った成功による後押しと、そ れを担った PhoSIC のご活躍も大変大きい。最後に NanoTerasu の運転・維持・管理に関わられている 全ての方々に感謝の意を表する。 SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.1 (2025 年 6月号) 17 ビームラインɾՃ器 参考文献 [ 1 ] https://nanoterasu.jp/2025/03/nanoterasu 共用ビー ム ラインのユーザー利用を開始 / [ 2 ] J. Miyawaki et al .: J. Phys.: Conf. Ser. 2380 (2022) 012030 ( DOI: 10.1088/1742-6596/2380/1/012030 ) [ 3 ] K. Yamamoto et al .: J. Phys.: Conf. Ser. 3010 (2025) in press. [ 4 ] J. Miyawaki et al .: Synchrotron. Radiat. News. (2025) in press. ( DOI: 10.1080/08940886.2025. 2501 509 ) [ 5 ] 宮脇淳、堀場弘司、大坪嘉之:放射光 37 (2024) 95. [ 6 ] https://www.qst.go.jp/site/press/20240918.html [ 7 ] https://www.qst.go.jp/site/qubs/nanoterasu- rensai-78.html [ 8 ] L. J. P. Ament et al .: Rev. Mod. Phys. 83 (2011) 705. (DOI: https://doi.org/10.1103/RevModPhys. 83.705) [ 9 ] 次世代放射光施設利用研究検討委員会:資料 5-2 超高エネルギー分解能共鳴非弾性軟 X 線散乱 ビームラインワーキンググループ報告書 https:// www.qst.go.jp/site/3gev/41909.html 菅 大暉 SUGA Hiroki (公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室 〒 980 - 8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉 468 - 1 SRIS 棟 209 号室 TEL : 050 - 3496 - 9053 e-mail : hiroki-suga@jasri.jp 小出 明広 KOIDE Akihiro (公財)高輝度光科学研究センター ナノテラス事業推進室 〒 980 - 8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉 468 - 1 SRIS 棟 209 号室 TEL : 050 - 3502 - 6482 e-mail : akihiro.koide@jasri.jp