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ビームライン再編後のBL35XUにおける核共鳴散乱アクティビティ
Nuclear Resonant Scattering in BL35XU after public beamline upgrade

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執筆者 Author

永澤 延元 NAGASAWA Nobumoto、依田 芳卓 YODA Yoshitaka、 バロン アルフレッド BARON Alfred

所属機関 Affiliation

公益財団法人高輝度光科学研究センター 精密分光推進室
Precision Spectroscopy Division, Japan Synchrotron Radiation Research Institute

抄録/Abstract

SPring-8 共用ビームラインBL09XUで実験されていた核共鳴散乱アクティビティは、2021 年にビームライン再編によってBL35XUへ移動した。高フラックス化をはじめとした移設による様々な利点を活かして、移設後も活発なユーザー利用が行われている。本稿ではビームライン再編後の核共鳴散乱アクティビティの成果について紹介する。

本文

公益財団法人高輝度光科学研究センター 精密分光推進室 永 澤 延 元、 依 田 芳 卓、 バロン アルフレッ ド ビームライン再編後の BL35XU における核共鳴散乱アクティビティ Abstract SPring-8 共用ビームライン BL09XU で実験されていた核共鳴散乱アクティビティは、 2021 年にビームライ ン再編によって BL35XU へ移動した。高フラックス化をはじめとした移設による様々な利点を活かして、移 設後も活発なユーザー利用が行われている。本稿ではビームライン再編後の核共鳴散乱アクティビティの成果 について紹介する。 1.はじめに 核 共 鳴 散 乱 は 1997 年 に BL09XU で 始 ま っ た、 SPring-8 において最も歴史のあるアクティビティ の一つである。核共鳴散乱実験は BL11XU ( QST ) 、 BL19LXU (理研) においてもひとつの手法として行 われているが、共用ビームラインとしては BL09XU にて様々な成果が創出されてきた。 こ の 核 共 鳴 散 乱 ア ク テ ィ ビ テ ィ は、 共 用 ビ ー ムライン再編 [1,2] に伴い 2021 年にその活動拠点を BL09XU か ら BL35XU に 移 動 す る こ と と な っ た。 ビ ー ム ラ イ ン 再 編 計 画 は SPring-8 全 体 の 成 果 創 出の最大化及び利用支援体制の強化を目的とし て 2019 年度から検討が開始され、先陣を切って 核共鳴散乱アクティビティの移動が行われた。予 定 通 り 2021A 期 ま で に 装 置 移 設、 コ ミ ッ シ ョ ニ ン グ を 終 了 し、 2021B 期 か ら ユ ー ザ ー 利 用 を 再 開 し て い る [3] 。 BL35XU に 導 入 さ れ て い る 短 周 期アンジュレーターは特定の入射エネルギーを 除き 2 倍以上のフラックスを供給することが可能 で あ り、 今 回 の 移 設 は ス ペ ク ト ル の 測 定 に 時 間 がかかる核共鳴散乱実験においてシグナルの増 加、 S/N 比の向上をもたらした。また BL35XU の 複数のハッチに高分解能モノクロメーターやスペ クトロメーターを常設することで実験核種や測 定 手 法 の 切 り 替 え に 必 要 な 時 間 を 短 縮 し、 ビ ー ムタイムの効率的な利用が可能となっている [1,3] 。 本稿では、ビームライン再編後の BL35XU 核共鳴 散乱アクティビティで得られた成果を紹介する。 2.準弾性散乱 分子や原子の拡散などミクロなダイナミクスを 調べることが可能な準弾性散乱においても核共鳴 散乱をプローブにした手法が存在する。これまで 核共鳴準弾性散乱は APD 検出器を用いた時間領域 干渉法 [4] によって実験が行われており、シグナル 効率を高めるために 57 Fe 2 O 3 を用いたマルチライン γ線時間領域干渉法が SPring-8 で開発されている [5] 。 BL35XU 移設後は分光器を常設し、先に述べたアン ジュレーターによるフラックス数増加の恩恵も受け たことでユーザーに効率的な測定環境を提供してい る [6] 。その一方で、純核ブラッグ散乱 [7] と高いダイ ナミックレンジを持つ 2 次元検出器 CITIUS を組み 合わせるエネルギー領域準弾性散乱法が東北大学の 齋藤氏、理研等の共同グループによって開発され [8] 、 BL35XU にて利用可能となった [9] 。このγ線準弾性 マルチライン分光法では時間領域干渉計を用いた方 法とは異なる時間スケールのダイナミクスを測定可 能にしただけでなく、最大 17.4 kHz のフレームレー トを持つ高速 2 次元検出器によって一度の計測で運 動量トランスファー q について全領域のスペクトル を収集できる( 図 1 ) 。これにより試料の異方的ダ イナミクスや異なる運動量領域を一度に観測できる ようになった。 3.時間窓を用いた放射光メスバウアー分光測定 2009 年に瀬戸氏によって開発された時間窓を用 いた放射光メスバウアー吸収分光 [10] は放射光のパ 122 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.2 SEPTEMBER 2025 BEAMLINES・ACCELERATORS ルス構造と原子核励起の長い寿命を利用することで 放射線同位体線源を用いずにメスバウアー分光測定 を可能にした、 SPring-8 独自で発展を続けてきた測 定手法である。放射光のバンチ構造を利用して超微 細相互作用を測定する手法はこれ以外にも核共鳴前 方散乱 [11,12] が存在するが、核共鳴前方散乱測定は複 数の核準位によるエネルギー差が時間スペクトルに 干渉パターンとして現れるのに対し、放射光メスバ ウアー吸収分光測定では透過体と散乱体の共鳴吸収 をエネルギースペクトルとして観測できる。この手 法がもつ独自のエネルギー、時間スケールを巧みに 利用して、近年では異常金属相と格子振動、価数揺 らぎの相関を直接観測した研究結果が報告されてい る [13] 。なお、この研究については利用者情報誌で も紹介されている [14] 。 BL35XU へ移設後の放射光メスバウアー吸収分 光 は 151 Eu 、 161 Dy 、 61 Ni 、 193 Ir 、 174 Yb な ど の 核 種 で 測定が行われてきた [15-17] 。 BL35XU の高いフラック スによって従来の測定が高効率・高精度で行えるよ うになっただけでなく、高フラックスを活かした新 たな手法開発も行われており、放射光メスバウアー 吸収分光測定に散乱過程のエネルギー依存性も追加 した測定も開発されている。この測定は散乱体が核 共鳴励起した後の脱励起過程を測定している。具体 的には、γ線の他に蛍光 X 線や内部転換電子も検 出しており、これらの過程で放出されるイベントの エネルギーはそれぞれ異なる。京大複合研の北尾氏 らのグループはこのエネルギーの違いに着目し、 2 つの高速マルチチャンネル・スケーラー ( MCS ) と Amplitude-to-Time-Converter ( ATC )を 組 み 合 わ せ た計測回路系によって計測した散乱エネルギーの 分光を可能にしている [18] 。この報告では応用例と して、 151 Eu メスバウアー分光測定において散乱体 Eu-Cr-EuF 3 の薄膜状化合物の厚み方向のスペクト ルの違いを示している。 4.核共鳴非弾性散乱 BL35XU への移設後は前述の短周期アンジュレー ターによる強度向上だけでなく、精密空調によるモ ノクロメーターの安定性の向上によってフラックス の増加以上の恩恵を受けている。常設された高分解 能モノクロメーターを用いていくつかの核種( 57 Fe 、 119 Sn 、 161 Dy ) についての核共鳴非弾性散乱測定 [19] (特 に生物分野においては核共鳴振動分光測定、以下 NRVS 、と呼ばれている)が行われており、その成 果も報告され始めている [20-22] 。ここでは生物分野で の研究例を紹介する。カテコールジオキシナーゼは 土壌に広く分布する細菌などに含まれる芳香環化合 物を分解する酵素で、地球の炭素循環において重要 な役割を果たしていると考えられている。 Solomon 氏らの研究グループはエクストラジオール型 ( EDO ) とイントラジオール型 ( IDO )の 2 種類のこの酵素 が異なるカテコール環開裂を行うメカニズムにつ いて研究を行い、 NRVS と密度汎関数計算を組み合 わせることでその中間体の評価に成功している [20] ( 図 2 ) 。 図 1 ( A ) γ 線 準 弾 性 マ ル チ ラ イ ン 分 光 法 の 模 式 図 ( B ) ポリブタジエンを用いた回折スペクトルと 準弾性吸収スペクトル。 ( a ) 2 次元回折データ ( b ) 235 K で 測 定 さ れ た 散 乱 強 度 の q 依 存 性 ( c ) 前方散乱と、 q = 14 nm - 1 で測定された各温度 の準弾性吸収スペクトルの温度依存性。 (どちら も文献 9 より引用) 。 SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.2 (2025 年 9月号) 123 ビームライン・加速器 5.最後に 本稿でビームライン再編によって高フラックス 化・効率化が行われた核共鳴散乱アクティビティの その後の活動と成果を紹介した。ここで述べた様に、 ビームラインの移設によって従来の測定の高効率 化・高精度化だけでなく、高フラックスであること を活かした新たな手法開発も行われている。 本 稿 で は 詳 細 を 触 れ な か っ た が BL35XU の ア ンジュレーターでは利用できない X 線エネルギー ( <14 keV 、 29 ‒ 43 keV ) に つ い て は BL19LXU の JASRI 共用枠にて実験が可能である。核共鳴散乱測 定に興味のある方は、是非ビームライン担当者にコ ンタクトしていただきたい。 参考文献 [ 1 ] Y. Sakurai, M. Yabashi: SPring-8/SACLA Information 25 (2020) 259. [ 2 ] O. Sakata, et al .: SPring-8/SACLA Information 26 (2021) 261. [ 3 ] Y. Yoda, et al .: SPring-8/SACLA Information 26 (2021) 450. [ 4 ] A.Q.R. Baron, et al .: Phys. Rev. Lett . 79 (1997) 2823. [ 5 ] M. Saito, et al .: Sci. Rep . 7 (2017) 12558. [ 6 ] R. Mashita, et al .: ACS Macro Lett . 13 (2024) 847. [ 7 ] G.V. Smirnov, et al .: Pis ’ ma Zh. Eksp. Teor. Fiz . 9 (1969) 123 [ JETP Lett . 9 (1970) 70]. [8] H. Nishino, et al .: Nuclear Inst. and Methods in Physics Research A 1057 (2023) 168710. [9] M. Saito, et al .: Phys. Rev. Lett . 132 (2024) 256901. [10] M. Seto, et al .: Phys. Rev. Lett . 102 (2009) 217602. [11] J. B. Hastings, et al .: Phys. Rev. Lett . 66 (1991) 770. [12] U. van Bürck, et al .: Phys. Rev. B 46 (1992) 6207. [13] H. Kobayashi, et al .: Science 379 (2023) 908. [14] H. Kobayashi: SPring-8/SACLA Information 28 (2023) 232. [15] R. Masuda, et al .: Hyperfine Interact . 243 (2022) 17. [16] S. Hayami, et al .: J. Phys. Soc. Jpn . 92 (2023) 033702. [17] Y. Kinoshita, et al .: New Phys.: Sae Mulli 73 (2023) 1145. [18] S. Kitao, et al .: J. Phys.: Conf. Ser . 2380 (2022) 012136. [19] M. Seto, et al .: Phys. Rev. Lett . 74 (1995) 3238. [20] J.T. Babicz, Jr., et al .: J. Am. Chem. Soc . 145 (2023) 15230. [21] A. Rulev, et al .: Crystals 15 (2025) 440. [22] A. Radovic, et al .: Nat. Commum . 16 (2025) 6843. 図 2 NRVS によって得られた、エクストラジオール型( EDO )とイントラジオール型( IDO )のカテコールジ オキシゲナーゼによるそれぞれの O 2 中間体の 57 Fe 部分振動状態密度(文献 20 より引用) 。 124 SPring-8/SACLA/NanoTerasu Information /Vol.1 No.2 SEPTEMBER 2025 BEAMLINES・ACCELERATORS 永澤 延元 NAGASAWA Nobumoto (公財)高輝度光科学研究センター 精密分光推進室 〒 679 - 5198 兵庫県佐用郡佐用町光都 1 - 1 - 1 TEL : 0791 - 58 - 0833 e-mail : nagasawa@spring 8 .or.jp 依田 芳卓 YODA Yoshitaka (公財)高輝度光科学研究センター 精密分光推進室 〒 679 - 5198 兵庫県佐用郡佐用町光都 1 - 1 - 1 TEL : 0791 - 58 - 0833 e-mail : yoda@spring 8 .or.jp バロン アルフレッド BARON Alfred (公財)高輝度光科学研究センター 精密分光推進室 〒 679 - 5198 兵庫県佐用郡佐用町光都 1 - 1 - 1 TEL : 0791 - 58 - 0833 e-mail : baron@spring 8 .or.jp SPring-8/SACLA/NanoTerasu 利用者情報/Vol.1 No.2 (2025 年 9月号) 125 ビームライン・加速器